れとろボックス。

日記。その日の心の備忘録。卓上の言葉たち。

しおり

 どれだけ意識的に生活をしていても、必ず小さなものから大きいものまで、失敗をしてしまう。それは失言だったり仕事だったりとまちまちで、そんな出来事一つ一つを思考が蓋をして、熱を直に感じてしまう。

 あぁ、あの時の僕の言葉は間違っていたかもしれない、あの時の仕事の運び方はもっといい方法があったかもしれない、あの時の食事の所作は不自然だったかもしれない、電車の中で自分の呼吸が煩かったかもしれない、帰るときの歩き方が奇妙で、周囲に迷惑をかけていたかもしれない、こんな不安が生み出す失敗は気づけばあるものからあったかもしれない可能性の領域まで馳せてしまう。

 そんな乱雑に綴った反省文も、書くだけ思うだけで何もしなくて、眠りにつく頃には忘れている。目覚めればきっと、自己嫌悪という栞を挟むのだ。日々ページは捲られたり捲り返されたり、だから多分、一生この本を読み終えることは叶わないんだろう、題名をつけることすらできないんだろう。

 雲の隙間から垂れるオレンジに照らされる雪が、少しだけ汚れていると安心する。

 生きる理由と、死ぬ意味を日常の隙間で考えてもいまだに答えは出てくれなくて、そしてこんな摂理みたいなものに所思しても、答えなんてないことを外郭くらいには察している自分もいる。

 異常者でいたい、アブノーマルでいたい、ただそんな、思春期の延長線上に立っているだけかもしれないけれど、答えが見つかるまで、あるいは死ぬまでこの気持ちは捨てずにいるんだろう。

 内向的と言ってしまえばそれまでで、妄想と言ってしまえばそれまでで。

 それまでをそれまでと完結せずに読もうとすることを、たとえ愚かであっても、自己満足的な醜形なものでも続けるのだ。

 帰路の途中、点滅しているマンションの廊下の電気を横目に見る、そんなもの。